この記事のポイント
- ASEAN主要5カ国にはいずれも相続税がないが、日本側で相続税が課税される可能性が高い
- 各国で遺言の形式・言語要件が異なり、国ごとに別の遺言書を作成するのが実務上の鉄則
- 外国人の不動産相続にはマレーシア・タイで制限があり、ベトナム・インドネシアでは所有権の相続自体が認められない
- Probate(遺産検認)手続きは全5カ国で必要であり、準備なしでは数年単位の時間がかかることもある
- 2026年3月時点の情報です。各国の法制度は改正される場合があります
📌 この記事は2026年3月時点の各国政府公式情報に基づいています。相続・遺言は個別事情により大きく異なるため、必ず各国の弁護士および国際税務の専門家にご相談ください。
海外に資産を持つ日本人が増えている
マレーシアの不動産、シンガポールの銀行口座、タイのコンドミニアム——ASEAN各国に資産を持つ日本人は年々増加しています。移住・投資・事業のために海外に資産を形成することは合理的な選択ですが、多くの方が見落としているのが「相続が発生した場合」の準備です。
日本国内の相続であれば、遺言書を書いて相続税を納めるという流れは理解しやすいでしょう。しかし海外に資産がある場合、状況は一気に複雑になります。
なぜ海外相続は複雑なのか
属人主義(日本)と属地主義(ASEAN各国)の衝突
日本の相続法は「属人主義」を採用しています。被相続人(亡くなった方)が日本国籍であれば、世界中のどこにある資産でも日本の相続法が適用されます。
一方、ASEAN各国の多くは「属地主義」を採用しており、自国内にある資産についてはその国の法律が適用されます。
つまり、マレーシアにある不動産は「日本の相続法」と「マレーシアの相続法」の両方が関わる可能性があり、どちらの法律が優先されるかは資産の種類や国の規定によって異なります。
二重課税のリスク
日本は全世界課税方式を採用しているため、海外にある資産も日本の相続税の課税対象になります。ASEAN各国には相続税がない国が多いものの、所得税として課税されるケースや、名義変更時の費用が発生するケースがあり、実質的な二重負担が生じることがあります。
日本と主要ASEAN各国の間には租税条約が締結されていますが、相続税に関する二重課税の回避は条約ごとに取扱いが異なります。
言語・法制度の壁
各国の遺言書はその国の公用語で作成する必要があるケースがほとんどです。また、裁判所での遺産検認(Probate)手続きも現地語で行われるため、現地の弁護士なしでは対応が困難です。
国別相続制度比較表
| 項目 | マレーシア | シンガポール | タイ | ベトナム | インドネシア |
|---|---|---|---|---|---|
| 相続税 | なし | なし | なし(所得税として課税あり) | なし(所得税10%) | なし |
| 遺言の言語 | 英語またはマレー語 | 英語 | タイ語 | ベトナム語 | インドネシア語 |
| 外国人の不動産相続 | 制限あり | 可 | 制限あり | 不可(使用権のみ) | 不可(使用権のみ) |
| Probate手続き | 必要 | 必要 | 必要 | 裁判所認証が必要 | 必要 |
| 日本との租税条約 | あり | あり | あり | あり | あり |
| 手続き期間の目安 | 6ヶ月〜2年 | 3ヶ月〜1年 | 6ヶ月〜2年 | 6ヶ月〜2年 | 1年〜3年 |
各国の相続制度の詳細
マレーシアの相続制度
マレーシアには相続税がありません。マレーシア政府は2021年時点で相続税の導入を検討していましたが、2026年3月時点では導入されていません。
遺言がある場合: 高等裁判所(High Court)でProbate(遺産検認)手続きを行います。遺言書は英語またはマレー語で作成する必要があります。遺言執行人(Executor)が指名されていれば、手続きは比較的スムーズに進みます。
遺言がない場合: Distribution Act 1958に基づき、法定相続分に従って分配されます。配偶者・子ども・両親の有無により分配割合が異なります。遺言がない場合のProbate手続きは1〜2年かかることが一般的です。
外国人の不動産: マレーシアでは外国人の不動産所有に最低価格制限があり、州によって600,000 MYR(約24,291,480円) 〜2,000,000 MYR(約80,971,600円) の下限が設定されています。相続による取得でも同様の制限が適用される場合があります。
マレーシアの相続に関するより詳しい解説は、マレーシア相続ガイドをご覧ください。
シンガポールの相続制度
シンガポールには相続税がありません(2008年に廃止)。英語圏の法制度(コモンロー)に基づいており、手続きの透明性が高い点が特徴です。
遺言がある場合: 家庭裁判所(Family Justice Courts)でGrants of Probateを申請します。遺言書は英語で作成する必要があります。
遺言がない場合: Intestate Succession Act(無遺言相続法)に基づき分配されます。イスラム教徒の場合は別の法律(Administration of Muslim Law Act)が適用されます。
外国人の不動産: シンガポールでは外国人のコンドミニアム所有は認められており、相続による取得も可能です。ただし、HDB(公営住宅)や土地付き住宅は外国人の所有に制限があります。
タイの相続制度
タイには名目上の相続税はありませんが、2015年に施行された相続税法(Inheritance Tax Act)により、100,000,000 THB(約493,840,000円) を超える相続財産に対して5〜10%の税率で課税されます。
遺言がある場合: タイの裁判所で遺言の有効性を確認し、遺産管理人(Estate Administrator)を任命します。遺言書はタイ語で作成するのが原則です。
遺言がない場合: タイ民商法典に基づき、法定相続人に分配されます。タイの法定相続順位は日本と異なるため注意が必要です。
外国人の不動産: タイでは外国人の土地所有は原則不可です。コンドミニアムの外国人所有枠(全体の49%以内)であれば所有可能で、相続による取得も認められていますが、手続きには裁判所の許可が必要です。
ベトナムの相続制度
ベトナムには相続税がありませんが、相続により取得した財産に対して10%の個人所得税(PIT)が課されます。
遺言がある場合: ベトナムの公証役場(Notary Office)で認証を受けた遺言書が有効です。遺言書はベトナム語で作成する必要があります。
遺言がない場合: 2015年民法典に基づき法定相続人に分配されます。
外国人の不動産: ベトナムでは外国人は土地の所有権を取得できません(土地はすべて国家所有)。住宅の使用権を最長50年間取得できますが、相続の対象となるのはこの使用権のみです。使用権の相続にはベトナム政府の承認が必要です。
インドネシアの相続制度
インドネシアには相続税がありません。ただし、遺産分配時に名義変更費用や公証費用が発生します。
遺言がある場合: インドネシアの公証人(Notaris)が作成した遺言書、または自筆証書遺言が有効です。インドネシア語での作成が求められます。
遺言がない場合: 相続人の宗教・民族により適用法が異なります(民法典、イスラム法、慣習法の3系統)。この複雑さがインドネシアの相続手続きを特に困難にしています。
外国人の不動産: インドネシアでは外国人は所有権(Hak Milik)を取得できません。使用権(Hak Pakai)を取得可能ですが、相続の対象は使用権のみです。手続き期間は1〜3年と長期化しやすい傾向があります。
ASEAN各国の相続税の税率や控除額の比較については、ASEAN相続税比較も併せてご確認ください。
日本人が取るべき5つのステップ
海外資産の相続トラブルを防ぐために、以下の5つのステップを計画的に進めてください。
ステップ1:海外資産の棚卸し
まず、自分がどの国にどのような資産を保有しているかを一覧にします。
- 不動産(国名、住所、名義、評価額)
- 銀行口座(銀行名、口座番号、残高の概算)
- 証券口座・投資信託
- 法人の株式(現地法人のSdn Bhd、Pte Ltdなど)
- 保険(現地で加入した生命保険・医療保険)
- その他(自動車、貴金属、暗号資産など)
この一覧は「財産目録」として、相続人がすぐにアクセスできる場所に保管してください。
ステップ2:各国での遺言作成
海外相続の実務において最も重要なポイントは、資産がある国ごとに別の遺言書を作成することです。
例えば、マレーシアに不動産、シンガポールに銀行口座がある場合は、マレーシア向けの遺言書(英語)とシンガポール向けの遺言書(英語)をそれぞれ作成します。
各国の遺言書には、その国にある資産のみを対象とすることを明記し、他国の遺言書と矛盾しないよう注意が必要です。
ステップ3:日本の遺言との整合性確認
日本国内の資産に関する遺言書と、各国の遺言書が矛盾しないようにします。特に注意すべき点は以下のとおりです。
- 日本の遺言書に「全財産を〇〇に相続させる」と書くと、海外の遺言書と矛盾する可能性がある
- 日本の遺言書では海外資産を除外する旨を明記する
- 公正証書遺言の形式で作成し、法的効力を確保する
ステップ4:受益者への事前共有
相続が発生した際に、遺族が海外資産の存在を知らないケースは少なくありません。以下の情報を、配偶者や子どもなどの受益者と事前に共有してください。
- 財産目録の保管場所
- 各国の遺言書の保管場所
- 各国で依頼している弁護士・会計士の連絡先
- 銀行口座のアクセス方法(パスワードではなく、連絡先と手続き方法)
ステップ5:専門家への相談
海外相続は「国際税務に強い日本の税理士」と「各国の現地弁護士」の両方が必要です。
- 日本側: 国際税務に精通した税理士・弁護士(相続税の申告・二重課税の回避)
- マレーシア: 英語対応の遺産弁護士(Probate手続き・遺言作成)
- シンガポール: 遺産計画(Estate Planning)専門の弁護士
- タイ・ベトナム・インドネシア: 日本語または英語対応の現地弁護士
費用は国や案件の複雑さにより異なりますが、遺言書作成だけでも1カ国あたり500 USD(約79,745円) 〜3,000 USD(約478,469円) が目安です。
よくある質問(FAQ)
Q1: ASEAN各国には相続税がないから、日本の相続税もかからないのですか?
いいえ。日本の相続税法では、被相続人または相続人が日本に住所を有する場合(一定の条件あり)、全世界の財産が課税対象になります。ASEAN各国で相続税がかからなくても、日本側で相続税が課税される可能性が高いです。日本の国税庁の公式情報を確認し、国際税務の専門家に相談してください。
Q2: 日本で作成した遺言書は海外でも有効ですか?
国によります。シンガポールやマレーシアでは、日本の遺言書が一定の条件下で認められる場合がありますが、現地での検認手続きが複雑になります。実務上は、各国ごとに現地の形式に沿った遺言書を作成するのが最も確実です。
Q3: 海外の銀行口座の名義人が亡くなった場合、遺族はどうやって口座にアクセスしますか?
各国の銀行は、口座名義人の死亡を知った時点で口座を凍結します。凍結解除には、現地裁判所のProbate(遺産検認)の完了、または遺言執行人の指名が必要です。手続きに数ヶ月〜数年かかるため、生前にジョイントアカウント(共同名義口座)の設定を検討することも選択肢のひとつです。
Q4: 海外資産の相続で日本への申告義務はありますか?
はい。日本の相続税の申告義務がある場合、海外資産も含めてすべて申告する必要があります。また、海外に50,000,000 JPY(約0円) を超える財産を保有する場合は「国外財産調書」の提出義務もあります。国税庁の公式サイトによると、この調書の提出を怠ると加算税のペナルティが課されます。
Q5: 相続の準備はいつ始めるべきですか?
海外に資産を取得した時点で始めるべきです。不動産購入時、銀行口座開設時、法人設立時など、海外に資産を形成するタイミングで遺言書の作成と専門家への相談を行うのが理想的です。「まだ若いから」「資産が少ないから」と先延ばしにすると、万が一の際に遺族が大きな負担を負うことになります。
まとめ:自分でできること vs 専門家に相談すべきこと
自分でできること
- 海外資産の棚卸しと財産目録の作成
- 各国の相続制度の基本的な理解(この記事が参考になります)
- 受益者(配偶者・子ども)への情報共有と保管場所の整理
- 日本の公正証書遺言の作成(公証役場で対応可能)
専門家に相談すべきこと
- 各国での遺言書作成(現地の弁護士が必須)
- 日本と各国の遺言書の整合性チェック
- 相続税の試算と二重課税回避のスキーム設計
- Probate手続きの事前準備と遺産管理人の指名
- 法人株式の承継計画(事業承継と相続の両面から検討が必要)
まずやるべき3つのステップ
- 財産目録を作成する — どの国にどんな資産があるかを一覧にまとめる
- 日本の遺言書を公正証書で作成する — 海外資産を除外する旨を明記
- 資産がある国ごとに現地弁護士を探す — 日本語または英語対応の弁護士に遺言作成を依頼
海外資産の相続対策は「やらなくても今は困らない」ことですが、万が一の際に遺族が困らないようにするための最も重要な準備です。ASEAN各国の相続税比較やマレーシアの銀行口座開設ガイドもあわせて参考にしてください。
2026年3月時点の情報です。各国の法制度は改正される場合があるため、実際の手続きの際は各国政府の公式情報および専門家にご確認ください。